結果関する貧困

将軍からは、女の子チンを宝容と命名するように、からだが回復したらすぐにも子供を膨鞍へつれてくるように、と返事があった。祖母は、子供に夢中になった。ようやく生きる甲斐を見つけた思いで、愛情と精力のすべてをルロン娘に注いだ。幸せな年であった。将軍からは慮龍へ来るよう催促する手紙が何度も届いたが、毎回なんとか口実をみつけてことわった。ところが932年盛夏のある日、電報が来た。耗将軍は重病である、歳になったばかりの娘をつれて大至急会いに来るように、という命令であった。文の調子から、今回はことわれないと思った。ノ官即応は、新鮮から300キロ以上ある。生まれて度も旅をしたことのない祖母にとって、慮龍へ行くのは大官険であった。纏足した足では、旅はたいへんな苦行だ。荷物など、とても持てない。幼い子供を抱いていれば、なおさらだ。祖母は、4歳になっていた妹のお影祖母は彼女のことを蘭と呼んでいた)をつれていくことにした。旅は、危険がいっぱいだった。あたりの情勢は、ふたたび不安定になっていた。1932年9月、この地方に着々と力を伸ばしていた日本軍が、とうとう満州ヘ本格的に侵攻をはじめた。1932年月6日には、義県も日本軍に占領された。