耗将軍列なるチン

とても聡明で、勉強好きな子シヤ938年ー供だった。旧暦の新年が明ければ、すぐに新しい学年が始まる。夏先生と祖母は、新年から母を学校に行かせることにした。学校教育、とりわけ歴史と修身は、日本人によってきびしく統制されていた。学校では、中国語ではなく日本語が公用語だった。小学校の4年生以上になると、すべての授業が日本語でおこなわれ、先生もほとんどが日本人だった。939年9月日、母が小学校2年生のとき、満プウイチンチョウ州国皇帝薄儀と皇后が錦州を公式訪問することになった。母は、皇帝夫妻が到着したときに皇3満州、ょいとこ、よいお国后に花束を渡す役に選ばれた。大勢の群衆が派手に飾りつけた台に立ち、満州国の色である黄色の紙旗を打ち振って皇帝夫妻を迎えた。母は巨大な花束を両手で抱え、ブラスバンドの隊員やモーニング姿で整列している要人のとなりに自信満々で立っていた。もうひとり母と同じくらいのプウイ年格好の男の子が、薄儀に渡す花束を抱えてカチカチに緊張していた。湾儀と皇后が姿をあらわすと、ブラスバンドが満州国国歌を演奏した。全員、直立不動の姿勢をとった。母は進み出て、大きな花束のバランスをとりながら、腰をかがめてお辞儀をした。